2012年11月05日の飛沫節
@taniryu: スケジュール確認。『傷は浅いぞ』ギリギリいけそうでいて、行けない。惜しい。惜しすぎる。
@taniryu: (このRT必要か、、?)
@taniryu: けれど、作品が作家に教えてくれることもある。ていうかそんなんばっかりだ、僕の場合は。
@taniryu: @sarauriaz はい、すみませんあんま上手く言えなくて。ぜひ誘ってください。僕も制作しながら考えることになりそうです。
2012-11-05 01:36:22 via Saezuri to @sarauriaz
@taniryu: @mezaki_tasuichi 同感です(仕事しろ)
@taniryu: @fuzzkey 僕も一人だったんですけど、F/Tだと「作家」のタグがついちゃってるのでめんどくせえな、と思ってました。あ、今のは自慢です。笑。そのかわりといっちゃあですが、帰りに池袋に向かう駅や電車の中で、作品を強烈に追体験した気持ちで居ましたよ。
2012-11-05 01:24:21 via Saezuri to @fuzzkey
@taniryu: @sarauriaz まあ、、精確な話は、、、酒にでも誘ってください。笑。すみません、僕も少ない言葉でよく語るのはあんまり苦手なタチで。
2012-11-05 01:21:39 via Saezuri to @sarauriaz
@taniryu: @sarauriaz その「個人」を構成している要件として、何かに属するということはなかったか?それを剥ぎ取ってあなたは観る/観られることができるのか?というところから、あの作品の強さは始まっているように思うのです(そして決してそれだけではない)。
2012-11-05 01:20:26 via Saezuri to @sarauriaz
@taniryu: @sarauriaz あの空間で「見るということに安住する」ことはできたのでしょうか?それはパフォーマーにも跳ね返ってきて、「やることに安住する」ということはできたのか?です。出来た人/時間もあるし、そうでないこともあるでしょう。「個人で向き合う」というのはそうなんですが、(続)
2012-11-05 01:17:46 via Saezuri to @sarauriaz
@taniryu: @sarauriaz まず、大変申し訳無いんですが、精確な議論をするにはtwitterはあまり向いていないと僕が考えていることを、ご了承ください。その上でなるべく簡潔に僕の意見を述べますね。他の観客が居るがゆえに没頭できない/させないというの僕も同意権です。ですが(続)
2012-11-05 01:15:35 via Saezuri to @sarauriaz
@taniryu: @sarauriaz 連投すみません、ですので集団としての観客なんてのはさっさと無効化して、その先を体感してしまう作品に思えるのです僕には。そういう意味で、観客とそれ以外なんて区分けでは語りおとしてしまうことが多すぎるような気がして。
2012-11-05 00:51:05 via TweetCaster for Android to @sarauriaz
@taniryu: @sarauriaz あの空間はただ「観客」であることを許さないように、巧妙に設計されたものであったように思っています。私が観客でありながら、他の観客を観賞してしまうこと(つまり逆のことが他のひとには起きている)、それが「選べ」と言われることの辛さに直結しているように思うのです。
2012-11-05 00:48:23 via TweetCaster for Android to @sarauriaz
@taniryu: でも決して「観客論」なんてのじゃない