4月2日

夕方頃少し寝て、夜から予定を整理した。おおよそかたがついたところでツイッターを見たら、ni_kaさんがおもしろい批判をしていて、主にTARO展の入賞者に対してだが、はて、と考えながらつぶやいた。いくらか、しょうもないことを。

 

まったく別の立場から、たまたまにも似た手触りのものが出てくることがあるとして――これは、ni_kaさんのAR詩と、会田誠チルドレン(みたいな呼ばれ方をしている人)との一致、類似、とまではいかなくとも?少なくとも、僕が観たときに感じる同質の触感――それを運命論的に片付けないことにするとすれば、それはいったいなんなんだろう、なにがおきているんだろう?

 

「常識のコレクション」のことを昼すぎまですっかり忘れかかっていて、あぶないところだった。なんとか思い出せたので、転入届のときに採集した。微かに、生きていく上での仕方なさと、納得行かなさがにじみ出ている。おそろしいと感じる。おぞましい、とも思う。

ツイッターの話に戻るが、自分が生きていくために自分を守るのはやむをえないと思うが、それが肥大化して過剰になってしまって、そんなに食ってかからなくっても、というふうになってしまっている人を見て、とても悲しくなった。僕が好ましいと思っている、ユーモアあるひとが、いつもの誠実でかろやかな言葉を封じてリプライしているのを見て苦しくなった。それで、僕もフォローを切った。ツイッターのこういうところは、とても嫌いだ。その中で、自分を守るためにフォローを切ったりする自分も。

 

オリエンテーションに、緊張して行ったが、ある集団の中ではF/Tってのはやっぱりすごいもんで、先生はみんな僕のことを知っている、などと言う。はあ、そりゃ光栄です、と返したが、光栄だが、いい気持ちはしなかった。芸能人はさぞかし大変だろうな、と思って、深夜にマガジンをめくってみたらAKB49が大変なことになっていて慄いた。もはや人間の沙汰ではない、そしてこの異常な状況を批判もできず、圧倒されるしかない、芸には確かにそういう側面もある。怖い漫画だと思った。

 

友だちがいることが、とにかく助けになっている日々だ。