12月31日

今年の振りかえりはfacebookでやったので割愛。

 

24日から27日まで、王子小劇場のディレクターズワークショップに参加してきた。

若手対象だろうに、「お前もう若手とか言うのやめろよ」的なポジションの僕が貴重な機会を頂いてしまったので、演出プロセスなどできるだけ具体的に開陳することにする。

 

参加した理由はいくつかある。戯曲を演出する、ということについて、改めて考え直したいと思っていたから。組んだことのない「俳優」と仕事することについて考えていたから。演出家が失敗できる場所は、本当に少ないから。そして僕は正しく失敗することは、とても大切だと思っている。

ファシリテーターは時間堂の黒澤世莉さん。作品の好みは置いて、実直に演劇をされている方だと思っていたので、安心して参加させていただいた。

若手対象のワークショップというのは重々承知だったので、微妙な立ち位置の自分が参加することのリスクも考えた。他の若い作家の重要な機会を奪うことになりかねない。みじめな居かたをしたら株がだだ下がりだ。など。抽選だったらしいけれど、席を頂いてしまったので、結局これは真っ向からやることやって参加者全員奥歯ガタガタ言わしてやる以外に誠実な回答はないな、と思い、あきらめた。

課題戯曲はアーサー・ミラー『橋からの眺め』2幕冒頭の抜粋。約1ヶ月前に到着。戯曲は2回通読した。自分の都合で読み込む時間が足りない。なお、アーサー・ミラー作品は浅学にして1本くらいしか読んだことがなかった。しかも記憶がおぼろげである。まずいと思ったが、足りないものは足りないんだから割り切って課題部分のみにフォーカスすることにした。なお、戯曲の課題部分の台詞はテクストレジなしですべて発話すること、という条件付き。

戯曲とともに、黒澤さんから「今回のワークショップでは「味わい」と「品質」について考えます」というメッセージも届く。味わい=テイスト。品質=クオリティ。テイストはいろいろあるけれど、クオリティをどう上げるかを問題にしたいということ。絶対的な美と相対的な美の問題だな、と思う。信用がおけるフィールドの設計だ、と思う。

 

前日に、自分がこの作品のどこに魅力を感じていて、自分が継続して問題だと思っていることについて、どのように関わり合いがありそうか、簡単にまとめた。

 

ここまで事前準備。

事前情報として、演出家1名、俳優男女2名、演出助手1名でチームを組むことまでもらっている。初日プレゼン、2日目から4日目までクリエイションして、4日目最後にショーイング、振り返りというスケジュール。各日経過の報告があるとのこと。

実質2日半で作れということだな、と理解。

 

1日目。

開始前、ざっと見回して、知ってる人は0名。ありがたい。みんな緊張してそうだったので、とりあえず逆立ちなどしてみた。僕もほぐれたし、「こいつ自分の時間で動いとる」ということが伝わればいいなあと思っていた。

簡単なイントロダクション。ディレクター北川さんから「演出家が正しく傷つく場になってほしい」とのこと。承知。とはいえ、傷付きにいかないと(黒澤さん、北川さん、あるいは俳優さんくらいにしか)傷つけてなんてもらえないんだろうなあ、とぼんやり思う。このあと演出家6名がプランをプレゼンして、俳優・演出助手が希望を出し、劇場側が振り分ける旨説明。

のち、プレゼン。2番め。余計なこと考えないようになるべく早めにやってしまいたかったのでラッキー。

自分のプレゼン。「ーーさせられる」ことに興味がある旨。「大きいものと小さいものを同じように板の上に並べる」ことに興味がある旨。手順として、戯曲をよく読んでトリガーを探す。それに基づくルールづくり(舞台を支配する弱い力を探す)をする旨。この戯曲の額縁が気になっている旨伝える。リアリズムではやらない、でもドラマはやります、部分の上演で作品として独立させます、と宣言。あと、俳優さんには明るく粘り強くよろしくお願いします、と。

言うつもりなかったこととして。「移民が気になる昨今…」と「たとえば階段だと登らないほうが不自然になっちゃう…」などと口走る。もしかしたらなんかの伏線かもしれないと思い、心の引き出しに入れる。

他の人のプレゼン(自分入れて5組)聞く。「移民とか関係ない」発言に戦慄。もちろん制作上どうでもいいっちゃいいんだけど、わからないなりに僕はすごく気になっていたので、認識のズレに驚いた。「(日常的には)言えない台詞」問題にはそれぞれ何かしら戦略や一考ありそう。課題部分が、これセックスのシーンじゃん、ということ、自分がすっかり読み落としていてやばい、と思う。

各々希望の票を出して集計中に、黒澤さん(6組目)プレゼン。

黒澤さん、プレゼン中に演出家の「俳優訓練・戯曲読解・空間構築」の話。さて自分のスペシャリティーはどこかな、と思って、戯曲は今回読めてない(そもそもそんなに得意じゃないし、戯曲は俳優の身体をかりていつも読んでると思う)し、空間に頼る気もない(最終的にこれをやる上では依拠するのはまず俳優と戯曲のつもり)ので、今までやってきた、あるローカルな俳優訓練にひとまず全振りだな、と思う。プレゼンを聞きながら、おおまかに身体のチェックと訓練で1日、読解とクリエイションに1日、演出に半日かなと見通しをたてる。

 

振り分けのち、クリエイションスタート。

・軽く劇場内をお散歩。名前以外の自己紹介などほぼ一切なし。笑。

・プレゼンで説明し落としたところを細かく話して、質問を聞く。

とりあえず台本外してなんとなく最後までやってみてもらう。台詞

出てこなくてもなんとかしてつなぐということで。台詞の入りは7割。言える台詞と言えない台詞のチェック。

・台本持ってやる。全然ダメ。各々はいいところもある。お互いの演技してるフィールドを察知して寄せるのは、手放しではちょっとハードルありそう。

・とりあえず素読み。これは思った以上にできる。

 

1日目はここまで。最後にこっそり、毎日の成果発表は毎日違う作品作るつもりでいくよ、とチームに伝える。この時点で初日の演出プランひらめく。演助に小道具用意の指示。

劇場スタッフに佐々木さん発見(F/T12のとき、重力/Noteで演助をやってらした)。この人だけが僕のやりくちを多少なりとも知っているはずと見越し、勝手に相談相手に認定。以降、自分の現在地点の振り返りのために折にふれて話を聞く。これはかなり助かった。

 

終了後、プレゼン聞いてていちばん(いい意味で)ヤバそうだった越くんを華麗に誘い、軽く飲む。お互い手の内を全見せする。

帰宅後、3日分の大まかなスケジュールを考える。稽古時間計12時間しかないことに気付き、戦慄。

 

2日目。

練習場所としてバックヤードの階段を選ぶ。別にどこでもよかったけど、階段の例えも出したし、バックヤードの混雑した情報量の多さがスラム感あって気に入ったので。

・「複数の仕事を同時にすること」について、簡単にイントロダクション。チェルフィッチュの山縣太一さんが言ってたことなど、少し話す。

・空間の響き、声質の変化、高さのチェック。

・とりあえず、階段なのでグリコをやる。なんでもいいからルールにのっとって遊ぶ。

・グリコ、というかわりに質問しあう。質問の内容を戯曲とその周辺にまつわることに変化させる。

このあと、簡単にフィードバック。

・一回戯曲のほうに振る。まだ台詞の入りがよくなかったので、折角だから役を交換してやる。この時点でこれは伏線になるかもと思っている

・とりあえず各々の演技体をみるため「現時点で幕が開いちゃったらどうする?」という体でやってもらう。さっきと言える台詞が違うことを発見。僕もやばいな~とは思ったが俳優がそれ以上にやばいと思っているようで(笑)、安心する。

・基準を言わず、「なんとなくダメだったところ」「なんとなく良かったところ」をフィードバック。戯曲や役のイメージについて質問があったので、普通に答える。俳優や演助にも聞く。ズレがあるね、と確認。

ここまででちょっと休憩。お昼。

・13時頃から、読み合わせ。細かく条件を変えながら。読みを膠着させないように。なんかできないので、演助に入ってもらって、相手の芝居の完コピ。←ここで稽古の伏線発動。

・缶とライトを人形にみたてて人形劇(アテレコ)。人形はときどき、左右にゆっくり揺れるだけ。演助の渡部くんに台詞と関係なく(聞かずに)動かしてください、と頼んだ。渡部くんにはWS通して説明をはしょりがちで、苦労をかけてしまった。

アテレコ内容は萌えアニメ風、宝塚風など(「宝塚っぽさ」がシェアできてなくて、へえ、と思った。しかし萌えアニメ風は相当シェアできる。面白かった)。

・続けて、大きい声でやる。遠くに持っていくことだけにフォーカス。逆に小さい声でもやる。たったひとりに伝えることだけにフォーカス。これはふたりとも、とてもよかった。頼りになる部分だと目星をつける。

・できない前提で、「失敗し続ける」というのもやる。なかなかうまく失敗できない。俳優二人がなにかしら大きな発見をしていたっぽい。このチャレンジを楽しめるのは大きい。

 

・15時半、じゃああと1時間半なんで、今日の報告の演出にとりかかる。

・先の先、後の先(プレゼンで触れた、武道の概念)について確認するため、あと、遊ぶからだを取り戻すため、手を使った簡単なワーク。5分。つのださんが弱くてウケる。

・ふたたびグリコ。ただしじゃんけんはエアじゃんけん。お互いにやりとりをできる、と確認してから進める。発話は質問と戯曲のどちらをやってもいいことにする。この辺で、この戯曲の上演箇所の立ち上がりが質問のしあいによって成り立っていることに気付く。俳優も。

遠さと声の大きさに接点を作って、わけわかんなくなったときにはとりあえず階段の端まで行って遠くに、もしくは近くの人に、という条件を入れる。

ルールをなじませながら、演助に持ってきてもらったモノやミニチュアを配置。観客が見るときのフック、もしくは演じるときに「人形劇のことも思い出してね」というメッセージとして。

ここまでで時間切れ。通しではできず。

 

2日目成果報告。

「これは作品なのか、ワークショップなのか」と聞かれる。そんなんどっちでもいいじゃん、と思ったが、「私達に面白がってもらう準備は済んでいるのか」という質問なんだろうなと思って、ワークショップです、と答える。あと、「(成果発表は)もう階段ではやりません」と宣言。ほか、いろいろ面白かったけど割愛。越くんがいきなり相当仕上げてきていてだいぶ笑った。

 

終了後、なるべくいろんな人に触感を聞く。特に俳優の人、劇場の人中心に。例によって佐々木さんをつかまえて用語の摺り合わせの面倒さなど、愚痴る。

帰宅後、諸事情により朝まで拘束、戯曲あまり読めず。あせる。 

 

 3日目。

そういうわけでいきなり15分ほど遅刻し、焦る。言い訳の時間も惜しいので、簡潔に謝ってスタート。ほんますんません

この日はロビー。

・ショーイングの振り返り

今回は基本的に全員戯曲を読んできている人が見る場で作品をつくること、確認。別に特別なことじゃなくって、ある場に人が集まるってことはなんらかの条件を淡く共有しているのだってこと、確認。

それから、作品をつくるに際して、戯曲はまず第一の他者である、というふうに僕が考えていること、伝える。

・小難しくなってきたので牛タンゲーム。のち、突劇!?喜劇病棟が発案した魔のゲーム「タンタンゲーム」をやる。みんなで発狂しそうになる。前提のシェアとゲームと集中で呪いがかかることに怯える。

・台本の共有。あんま読めなかったので、各々の解釈やイメージの変化を確認する。やっぱり「若い二人のピュアさが話をややこしくしている」「でもこのピュアさは人間として肯定してあげたいよね」「アーサー・ミラーもこのピュアさを認めてあげたいと思ってたのかなあ」と。このシーンを経てこの二人はセックスできるくらいまである種の成長を遂げないといけない、ということをシェア。

・移民の話がきになることも話す。それから、震災後いつセックスしたかについて、など。受け入れがたい、どうしようもない状況の中で、なんでかわかんないけどセックスすることでなにかを取り戻そうとすることについて。

・僕のプライベートな話などする。僕のプライベートくされメロドラマをとりあえずの参照項に、結婚についてのとりあえずの設定を決める。もちろんこれは全然伝わらなくていい、という前提の上で。

・空間を設定。テレビがある(外の情報が入ってくる。イタリアのこととか)。手を触ることでセックスのメッセージを交歓する約束でやる。

・軽さ、キュートさが足りないので条件を足す。アヒル口がかわいいと思い込んでいる、ジャンプするのがかっこいいと思い込んでいる、言いにくい時に謎のダンスを踊ってしまう、など

・平行して行う、ゲームのルールをつくる。ミニチュアをそれぞれにとって重要な要素に見立てて、それぞれの俳優は舞台上に架空の軸を作り、その軸にそって小道具をマッピングする。何についてマップしているかは共有しない。でも二人でひとつの状況を把握し、共有しようとするゲーム、ということにする。人形劇のことも思い出してもらう。

・そろそろショーイングなので、ルールの確認。

マッピングすること、

俯瞰した状態での語りと、役にプライベートな感じで体を沿わせることとを両方扱うこと、

謎のダンスとジャンプ、

以上はルールとして残す。導入部だけ少し演出をつけて、成果報告の時間。小返しの時間を持てなくて申し訳なく思う。

 

3日目ショーイング。おしょうさんところの動きがキュートでよかった。

自分のとこは、けっこうスリリングな瞬間もあってよかった。昨日はこれぐらいできて当然、と思っていたけれど(情報が多くて俳優の領分が少なかったから、今まで自分ができてきていたことをやってるのといっしょ)、空間の影響をかなり減らしても複雑さをキープできていて、ある程度手応え。しかし、フィードバックで黒澤さんから「このテイストのままで作品のクオリティを上げることがいいとは思えない」と。そんなことないっすクオリティ上がったらぶち抜きでいけると思ってるっす、と思う。次いで北川さんから「この作品のロジックが見えない。ドラマツルギーが沿っているかどうかがこのショーイングを見てもわからない」。と言われる。これはかなり痛い、と思った。

テイストが好みかどうかはどうでもいいし、ある美意識に基づいてぶち抜きでやれれば文句のつけようもなく説得力あるパフォーマンスが出るとは思っていた。というか今も思っているが、どうもこれは、観る人にとって、安心してパフォーマンスに身を任せるガイドラインを自分が引けていない、それに関して軽視しているということだと思った。

この問題はこれまでも度々起こっていて、その都度クオリティの問題だと思っていたが、おそらく、違うのだ。作品を提出するに際して、自分の不手際や諸条件は問題にしてはいけない。問題にする気が起こらないくらいに、「これを見よ」というフォーカスの絞りっぷりを観客と共有する必要があるのだ。観客だってなにかしら面白がりたいと思って見ている。しかし素寒貧なままで面白がることをやってくれるほどには、こちらに身を預けてくれる人ばかりではない。そういう人にも、安心して質に眼差してもらえるような環境を用意しないといけない。今回はその素地として戯曲がある。あってしまう。戯曲から何を読みだしたかを提出する前に、「わたしは戯曲を読んだ」と宣言しなければならないのだと、「ここを読んだ」ということを共有しなければならないのだと気付いた。質をみてもらうために。

この時点までで、最終日は素舞台か、そのへんの公園かどっかででもやるかあ、と無邪気に思っていた。しかしこれに気付かされてしまったがゆえに、抜本的なプランの見直しをはかる必要に迫られる。

なお、またも「作品なのかワークショップなのか」と聞かれたので、昨日同様の理由でワークショップです、と答えました。

3日目終了時の振り返りで、黒澤さんが「すべての観客に訴求するように…」となんかの話の流れで言っていた。その部分だけピンときた。観客を選ぶことも演出のうちだが、ことこのワークショップで最大成果を得るのは、「すべての観客」を想定した時、ということに、腹をくくる。

 

3日目終了後、最終ショーイングの場所決め、順番決めなど。このあたりは完全にゼロベースで考えなおしていたので、もう勝手に決めてもらってそれに合わせて残りもんで考える、ということにする。挙句の果てには「他の人がショーイングしたあとの装置そのままで上演するってアリですか」などと聞く(なお、越くんにだけ断られる。たぶん彼は僕の作品がどういう像になるかある程度予見してたのであろう)聞くだけ聞いて、結局すぐやらないことにしたけど。黒澤さんに「谷さんは無数の可能性をスタックしているなあ、どうするんだろう」と笑われる。いやあ冗談じゃなくこの時点でマジでただスタックしてただけでした。正しく決められへんなら、流れと引きの良さに任せるまでよ。やむをえない、考えるために考えないのも手段のうち。と開き直る。

打ち合わせ開けて、演出家数名だけで少し、ざっくばらんに話す。それぞれの悩み方に、プログラム本編ではあまり応えられなかった率直な感想を述べる。僕は「悩み抜け」くらいのアドバイスしかもらってない気がする…そりゃそうだ。そりゃそうだ…!

 

のち、俳優二人と居残り練習。

ショーイングのざっくばらんな感想。昨日階段でできたことはフラットな環境になってもできたね、よかった。でも、ちょっと重かったね、軽さがほしいね。それはそれとして僕、悩んでいます。など。俳優二人は貪欲で、まだこのルールに可能性があるのに使いこなせていない、もっと馴染んで、もっと遊べたらもっと楽しくできる、と。この貪欲さがひたすらにありがたい。

じゃあ、今日の成果発表の自分が60点だとしたら、そのままのルールでやったとして明日、誤差5点含むで何点くらいまで上げられそうですか?と聞く。85点、80点、と、頼もしい回答。じゃあ僕が演出で10点上げるので、95点80点で優がつくって計算で!ということにする。もちろんこの時点ではただの虚勢である。でもあと10点でいい、っていう心づもりができたのは結構助かった。

衣装を決める。「こいつら衣装はどうでもいいらしい」ということだけが伝わるように、気をつける。

どうせ演出プラン決まってないので、現状のルールで冒頭から細かく返す。ルールの提示、芝居のニュアンスなど、観客にプレゼントする手順について、ひとつずつ確認する。

22時閉館ギリギリに居残り稽古終わり。

 

帰宅後、戯曲を通読しながら仮眠。

どういうガイドラインを引くかについて考える。やっぱり額縁の問題じゃないか!と思う。『橋からの眺め』は、弁護士のアルフィエーリという人物を語り部に、彼の回想という体をとった戯曲だ。彼の提示する額縁をひとまず信用することで、ある悲劇的な結末に向かう一族が描かれる。額縁の設計が必要。

ギャラリーが見えるところが舞台位置になったので、これを使うか、と思う。

2時頃起きて、「やっぱ移民の話気になる」「とりあえず音楽流すか」「あと、高さのエネルギーやっぱ大事」と思う。

舞台図スケッチ。音楽探す。戯曲に出てきている『ペイパー・ドル』("paper doll")の音源と、日時的背景を加味して"Happy X'mas"、あとぼんやりイメージとして参照していた高嶺格"God bless america"に使われていた、同名曲のよい音源を探す。冒頭導入部でいずれか2曲同時に流すイメージ。複数の理由が混線していて、どちらも聞き取れることの困難。結局"Happy X'mas"はこの時代まだ作曲されていないことを加味して、生活の基板ーアメリカ的なるものと、恋のモチーフとの抵抗ってことで"paper doll"と"God bless america"にする。ちなみに"God bless america"の歌詞、すごく良い

俳優の演技のスタートアップを、昨日の段階では(谷さんのくされメロドラマを参照した)日常的な身体にしていたところを、最初に声をかけるお互いの相手役を小道具の人形とすることで、必ずしも身体とドラマの主体が一対一でないことをはっきり提示(あくまで俳優は観客と同じ現在にいて、その中で役の仕事と役を俯瞰したゲームを遂行する)。あと軽く笑いも取る。

舞台装置としてギャラリーに届きそうな脚立を置く。ギャラリーを"額縁"に見立て、俳優はそのモチベーション如何ではみ出すこともできる。

俳優の仕事は、昨日と同じ。役の遂行とゲームの遂行。ただし、アクティングエリアは、2日目に階段でシェアした高さのエネルギーにもう一度アクセスしやすくしてある。また、俳優の仕事としてキャサリン(女優)はより高いところへー憧れるところへ行きたい。ロドルフォ(男優)は地面の低いところを沿って、このアクティングエリアの外へ行きたい、というモチベーションを持ち続けてもらう。キャサリンはイタリア的なものに夢を見ていて-それは彼女の恋の駆動力だと思うーロドルフォはより生活をしていくことのために、このステージから抜け出したいのだ、ということになぞらえる。俳優の台詞との付き合いの甘さから脱する助けとなっているようだったので、謎のジャンプとダンスは、残す。

では、ギャラリーには誰がいるか。昨日、小道具を運んできてもらった演助にいてもらう。むろんメタレベルでの作品の語り部でもあるのだ(演出助手は毎日、ショーイング前にその日のクリエイションの報告を義務付けられていた)ーつまりアルフィエーリをやれってことだが、それともうひとつ。舞台空間に小道具(と小道具、小銭に見まごうチョコレート)を投げ込む仕事を担ってもらう。これによって、戯曲一幕冒頭の、共同住宅の窓に小銭を投げ込む人物のイメージも担ってもらう。もちろんこんなもんは伝わらなくていい。しかし、ある限定的な部屋に細いコミュニケーションをつなぐエネルギーが、彼らの生活の状況に対してなんらかの「そうでなくては成り立たない状況」を強いていることは、重要に思われた。

ちなみに最後に小銭とチョコレートを降らせてもらって雨か雪かに見えれば、あわよくば雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう、というプランもあったが、あんまり見えないのでボツになった。

終盤のセリフの処理は逆に、「脚立に登った女優(キャサリン)が怖くて降りられない」ってことで、台詞を役から俳優の側に引っ張り戻して落とす。ということにした。笑いを取る、大事。

ここまでなんとか算段が立って、王子へ移動。プロントで小道具用の両替をしてもらって、朝ごはんを食べながら俳優に伝える手順

と場当たりでやることを整理。で、9時半劇場入り。

4日目。

10時スタートまでに、使用する脚立選び(劇場に数種類あったのは2日目お散歩時確認済み)と、俳優が早めに来てくれていたので安全チェックができたのは大きかった。

・スタートと同時に、演出プランを伝える。ほんとは相談してルールを確定していきたいところだけれど、僕の力不足でごめんね、とも伝える。

・台詞終わってからハケぎわ、女優のつのださんに「今日の(劇中の)ゲームが勝ったと思えたかどうか」で、鼻歌2種類を選択してもらうマルチエンディングにする。負けたらgod bless america、勝ったらHappy X'masを鼻歌してもらうことにする。もしかしたらなんかテクニカル的なトラブルで歌えないかもだけど、気にしないでね(笑)とも伝える(結局そうなった)。

・チームに、今回のゲームは、協力ゲームであることを伝える。俳優二人は敵対しているわけではなく、ある成果のためにそれぞれ場をよりよくしようとしている。けれど各々(特に、背負っている役の)の戦略、優先順位が違うため、またその理由がお互いに知れないため、ゲームは難しくなる。けれどもその難しさを(勝つにせよ負けるにせよ)乗り越えて、このシーンは終わるのだと思う、みたいな話。

・10時40分頃場当たり。音響、照明チェック。展開の少ない作品なので冒頭、ラストと、中盤に照明効果。ショーイングで露呈するが、照明操作の佐々木さんに変化のタイミングをツボを伝達しきれなかったのがちょっと反省(それで鼻歌は歌えませんでした)。つつがなく終わる。小道具の選定がやや雑であったため、ボツになるものがちょいちょい出てくる。反省。

・場当たり後、小返し。昨日と同様に、お客さんに提示する手順と手つきのみに集中。

と、その前に、ふたりの最初の手駒(それぞれレモンと靴下を持っていることにした。これはふたりとも、ゲーム開始時は"イタリア"のモチーフとして扱うことにするつもりだった。身体的な把握と、俯瞰的な把握。俳優からは匂いがなにかしらの俳優の仕事の喚起になるかもしれない、男性の衣類であることがエディへの撞着へ役をジャンプさせる助けになるかもしれない、というようなフィードバックをもらった。どっちもすごく良いと思った)の扱いについて、演助と少し議論になる。ルールの設計に対して、その説明に対して、承服できない部分を突っ込んでくれて、説明し直す。これも本当によい時間だった。

・大きな時間的な設計(台詞と動きのスピード感の指示)をしたところで、時間切れ。

 

成果発表のショーイング。

あんまり前日までに突っ込まれたので、僕が「これは作品です」とだけアナウンスして始めた。若干、余計な解釈を生んでいたっぽい。反省。

あとは、遂行率70%くらいで、まあまあの感じで終了。俳優二人は少し、台詞の遂行に引っ張られ気味だった。でもそのかわり、小道具を俯瞰して動かすことにはよく仕事してくれて、ゲームの中で起こる(小道具同士の)状態が「ある関係性を提示している」ことについてはよく示してくれた。仕事出来ていたかの実感はともかく、作品性を粘り強く解釈してくれて、自分の今時点の状況から、よくパフォーマンスしてくれたのだと思う。

観客も昨日まで反応がよくなかった人が、ショーイングの時間のあいだ何かしらの集中を持って見てくれていたようで、まあ、よかった。あとで質疑応答をもらった時の反応にも、それはあらわれていたように思う。

 

他の人の作品は割愛。それぞれに面白かったところ、甘さや制約が見えたところがあったけど、それは個別に伝えたので、ここで書くようなことでもないだろう。

 

ショーイング後も、ウチのクリエイションは話の種によく上がっていたようで、よかった。作品がよいことはとても大事だけれど、それより作品を見て、誰かと話したくなるようなことがたくさん起きるといい、といつも思っているし、今回のチームにもそれは最初に伝えたので、達成感はあった。

 

テイストとしては、3回を比して、最終日のショーがいちばん退屈だ、見どころが少ない、と僕は思った。最初から僕のやりくちが好みの人も、きっとそう思ったことだろう。けれど、ある成果のために自分のこだわりを削ぎ落とすことで得られる美的な成果もある、ということが、今回はよくわかった。いつだって決断はし続けないといけないのがクリエイションの先導者としての演出家の役割だが、その決断は自分のプライドや美意識ではなくて、常にあらわれる新しい条件への決断であるほうが、大きな成果を生むのかもしれない、と思った。

結果終わってみて、今回は関係ないけれど、次の新作への大きな知見も得ることができた。これは最初のプランを遂行しては得られなかったもののように思う。

 

正直なところ、作品そのものについては反省が多いし、クオリティをもっと徹底できれば、その技術があればこんな身の振り方をすることもなかったのでは?と思い悔しいところだ。

でも、人とつくっているんだから、人からもらってなんぼだ。それは観客もやはりそうで、「観客も作品の担い手です」と口で言うのは簡単だけれど、観客が楽せずに、かつ積極的に作品を担うための手引きをどれだけできるか、それも演出家の技術のうちか、と改めて確認、反省できたのは大きかった。

 

さて戯曲をやるということは、戯曲が演劇の絶対要件でなくなった今、「この戯曲でやる」ということが自分勝手な理由でないこと、きちんと表明できないといけない。

なんでもいいけどとりあえずこれで、というのもダメとは思わないけれど、だったら戯曲を「この戯曲だ」と呼ぶ必要がそもそもない。ただのインクの染みってことでよかろうではないか。そうではなく「この戯曲でやる」ということにするのならば、「この戯曲」の肌理をよく読んで、違和感を持つこと。俳優に、このひととやっている、と思うのと同じように、戯曲とも付き合うこと。その付き合いのイーブンさを、いつまでも保ち続けること。という、結局はごく普通のこと、その難しさなのでした。

すいませんね、普通のオチで。

 

 

なにより実直で、面白がって付き合ってくれた俳優のつのださん、臼杵くん、演出助手の渡部くんに感謝しています。

それから、王子小劇場のみなさん、この豊かなフィールドを担保してくださった参加者のみなさん、そしてテイストは別として、ちゃんと適切なサイズで面白がってくださった黒澤世莉さんのスポーツマンっぷりに、感謝します。

演出というのはなかなか実地で勉強できない技術ですが、本当によく勉強させていただきました。ありがとうございました。

 

 

最後に。

見学者の方からのフィードバックで、とても大事で、きになったことがふたつ、ありました。

ひとつは、「質問のしかたが参加の演出家はまだ甘いのでは。質問をきちんとできることが結果的に作品を育てる力にもなるのでは」というご指摘。本当にそのとおりだと思いました。何を見ても、自分と相手と作品にとって強く的確な質問をできるようになることは、作家としてとても重要な訓練であり、宝石集めにつながると思います。僕も心がけます。

もうひとつは、「限られた状況の中で、特殊な言語でしゃべっているように思った」というご指摘。これも本当にその通りです。けれど、どんな現場に行っても、どんな人に見せる場合でも、ある特殊性を持ってひとは喋るのだと思います。自分と、場と、届けたい相手の持っている言語は常にズレ続けていて、けれどもそこにひとつの文脈を通すことがプレゼンテーションの目的であり、そんなこととは別に、このズレた環境の中での翻訳の仕返しをあらゆる人に要請するーつい、誰かと喋りたくなってしまうような言語以前の声が、ひとつの作品の魅力ではないかと思います。これは制作を続けていく上での両輪です。どちらが欠けてもいつか作れなくなってしまうのだと思います。今回は見学者の方は割りきってお客さんとみなさなかったのですが、きっと次は「なんか変なものをみた!」と誰かに言いたくなってしまうようなものを作ろうと思います。

 

 

まあまあ喋っても長いけれどやっぱり書いても長くなりましたね。

以上振り返りでした。自分のことばっかですみません。

演出家の皆さんおつかれさまでした。めっちゃ面白い作品ができたら、ぜひ教えて下さい。見に行きます。