note


作品を作り始めたときのノート、1行目には「命がけの跳躍(資本論)」とある。それだけ。
商品は必死で価値になろうと跳び、重力に従ってとんぼ返りしてくる。
俳優もそうだ。何かの役になろうとして、結局晒してるのはなにものでもなく自分の身体だ。
価値――役に立つ、などと、ダジャレにもならないことを考える。
東日本の震災以前/以降という括りでいくなら、この作品は初演が2011年の10月だから、震災以降の作品ということになるのだろう。
ま、でも、山口はあんまり変わってない。
「震災」のことを思い出のように語るようになった。
放射能を情報チェックするようになった(でもあんまりよくわかってない)。
別の地域を思いやる仕草や言葉が、少しだけ生活の中に見えるようになった。
東京から越してきたひとが、自分たちが直面している危機感について語っている。
けれども僕はなぜだかピンときていない。僕もまた、想像力が足りないのかもしれない。
そんな人間でも、生きていられることへの疑問。



   俺達をうんざりさせるマス・プロダクションは
   こんな時代になっているっていうのに
   いまだに何もなかった振りをして闇雲に突っ走れって言いやがる
   一つの神話やら歴史ってやつが終わったってことを知らないのか?
   それとも 一つの神話やら歴史ってやつが終わったからって
   現実の時間や生活は続くってことを知らないのか?
    ("RAMBLING IN THE RAIN" by MUDDY " stone" AXEL)



募金を募る男はまだ突立って居る。
状況は何も変わっていない。

とにかく、
変わらないものをやりたいと思っている。
そしてそれは、常に変わるものを含み持つだろう。

REDEMPTION SONGS

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